2023年の紅白出場が決定した、元キャンディーズの伊藤蘭(いとう らん)さん。
旦那さんは水谷豊(みずたに ゆたか)さんで、娘は女優の趣里(しゅり)さんと、芸能一家の伊藤さんのお父さんについて今回は調査しました。
是非最後までご覧ください。
伊藤蘭の父親・英邦は超優秀!最先端技術の研究者│2023年現在は?

伊藤蘭の父親は伊藤英邦!2023年現在は?
伊藤蘭さんのお父さんの名前は伊藤英邦(いとう ひでくに)さん。今年101歳になられます。
英邦さんの生まれた年は、1922年とのこと。
2023年現在は101歳でいらっしゃいますが、ご健在であるかどうかの情報はありませんでした。
後述しますが、父・英邦さんは家族と疎遠になったあと、千葉県の役所に勤務しながら療養所で陶芸や絵を教えていましたので、現在も千葉県で美術に携わる仕事をしている可能性はあります。
ちなみに蘭さんのお母様・八重子さんは平成30年に96歳で亡くなっています。
家系は新潟県の下関地区の名家
伊藤蘭さんのお父さん・英邦さんの実家は新潟県岩船郡関川村で、下関地区の名家でした。
新潟県下関地区には現在も伊藤姓の家が多く残り、元をたどると同じ祖先に行きつくとのこと。
13代続く伊藤家の分家に生まれたのが、蘭さんの曽祖父の貞次(ていじ)さんでした。
伊藤家はかなりな名家だったようですね。
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理系で最先端の技術を研究!超優秀なレーダー研究者
伊藤蘭さんの父・英邦さんは戦時下で電波兵器(今でいうレーダー関連)開発に携わる研究者でした。
2023年8月25日のスポニチの記事に以下のような記事がありました。
スポニチ
戦時下でレーザーの研究をされてたってことは相当エリートね。

国防理工学園電波兵器技術錬成所で電波兵器の技術を学んだ後は、多摩陸軍技術研究所に軍属として勤めました。
陸軍技術研究所とは、陸軍関係兵器の調査研究・試験を行う日本陸軍の機関のこと。
戦時中は陸軍の技官さんだったということですね。
伊藤蘭の父親は島崎藤村の孫・島崎禄二と知り合い?

引用元:Wikipedia
伊藤蘭さんの父親は島崎藤村の孫・島崎禄二と知り合いでした。
蘭さんのご主人である水谷豊さんが島崎藤村記念館に行った時、館長で島崎藤村の孫である島崎禄二さんが
「蘭さんを保育園に送っていったことがある」と直接話したエピソードがありました。
島崎禄二さんが伊藤蘭さんの家に下宿していたからですね。
島崎禄二さんは画家として活躍されています。
当時、禄二さんは吉祥寺の武蔵野美術学校に通っていたので蘭さんの家があった吉祥寺に居候していたのでしょう。
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父親・太郎(伊藤蘭の祖父)は油絵の画家
父親・太郎(伊藤蘭の祖父)は油絵の画家
蘭さんのお父さんの父親(蘭さんからは祖父)太郎さんは裕福な家庭に育ったため、無職で油絵を描いて暮らしていたそうです。
しかし英邦さんが生まれることで意識が変わり、法政大学に通い始め、卒業後は川崎市役所に務めていました。
ちなみに太郎さんの「雅号(小説家にとってのペンネームと同意)」は伊藤蘭だったそうです。
蘭さんのお名前は、祖父である太郎さんが名付け親だったんですね。
英邦さんはそんな父・太郎さんから絵を習って育ち、勉強もできる少年へと育ちました。
祖父・貞次(伊藤蘭の曽祖父)はキャリア官僚⇒広島市長
祖父・貞次(伊藤蘭の曽祖父)はキャリア官僚で、後に広島市長となりました。
蘭さんのお父さんの祖父(蘭さんからは曽祖父)貞次さんは、早稲田大学で法律を学んだ後、キャリア官僚になり後に広島市長を務めた超エリートでした。
素晴らしいキャリアの持ち主ね!

広島市HPの歴代広島市長の第15代市長にお名前が載っていました↓

2013年7月26日に、蘭さんが夫の水谷豊さんと、映画『少年H』の宣伝で広島市を表敬訪問した際、
以下のように語っています。
Oriconニュース

また、貞次さんは広島市長の人気終了後は、満州で不動産業を営んでいました。
自社ビルを建てるほど儲かっていたのだとか。
帰国後は都内・吉祥寺に500坪の大邸宅を建てたということです。
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相続税を払えず困窮
英邦さんの父である太郎さんが亡くなった時、多額の相続税の支払いが発生し一家が困窮してしまいます。
父の太郎さん(蘭さんの祖父)の死は蘭さんが生まれた翌年でした。
多額の相続税が生じ、英邦さんと八重さんはそれぞれ働いて家計を支えたということです。
貞次さんが不動産業で築いた財産もほとんど底をつき、家の空き部屋を人に貸して家賃収入を得るなど、工夫してお金を工面しました。
最終的には借金を払い切れずに500坪の家を売り、そのお金でアパートを建てて、家賃収入を得ることをしていたそうです。
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研究者をやめて千葉の役所職員に
英邦さんは単身赴任で千葉県の役所に勤めるようになりました。
千葉で単身赴任しながら療養所で陶芸や絵を教えていたとのこと。
戦争によって心に傷を負った患者さんと多くかかわっていたそうです。
レーダー技術の研究者として戦争に関わっていたという責任感からかもしれませんね。
とても心の優しいお父様だったのでしょう。
そのまま家族とは疎遠になってしまいました。
なんだか切ないね・・・。

父は自分のルーツや先祖のことをほとんど語らなかった
とインタビュー時に話す蘭さん。

英邦さんは戦争で他人には語ることができない多くの辛い体験をし、すべてを自分の中で終わりにすることで消化させようとしたのかもしれませんね。
レーダー研究者として戦争に関わっていたという複雑な気持ちは本当のところ当事者じゃないとわからないことかもしれませんが・・・。
当時の英邦さんの以下のような文章が見つかったと言います。
英邦さんは戦争の後遺症に苦しむ人に下総で向き合っていたそうです。当時の文章が出てきた。
「今、しみじみ必要性を感じていることは、人間らしさをとりもどすこと」と書かれています。
https://ameblo.jp/takeyama35hinaho/entry-12818411619.html
『人間らしさをとりもどす』
戦争など自身の体験から多くを悟った英邦さんの言葉、深みがありますね。
いつの時代にも忘れてはいけない言葉のような気がします。
伊藤蘭の母親は八重!強くたくましい社長令嬢

伊藤蘭の母・八重は社長令嬢
伊藤蘭さんの母・八重さんは社長令嬢でした。
伊藤蘭さんの母親・八重さんにも少し触れておきますね!
蘭さんのお母さんは、伊藤八重(いとう やえ)さん。
八重さんも名家の出で、父親は北海道函館市にて洋裁の技術を身に着けテーラーを開業されていました。
しかし、函館の大火災で店を失ってしまいます。
まんたんWeb引用元:
すぐに再建させるというのがスゴイですね!
蘭さんの頑張り屋さんな気質はお母さんの血筋かもしれません!
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伊藤蘭の父と母の馴れ初めはダンスパーティー
伊藤蘭の父と母は社交ダンスパーティーで知り合いました。
北海道で育った八重さんは戦前に上京し、終戦後は、出身校である吉祥寺の洋裁学校の教師をしていました。
その時ダンスパーティーで知り合ったのが、伊藤蘭さんの父・英邦さんでした。
馴れ初めがオシャレ!

蘭さん自身はご両親が社交ダンスを踊るところは見たことがないとのこと。
英邦さんは、自宅に研究室を開業し、窯業を学んで、粘土を使ったアクセサリーを作成していたと言います。
その後、夫の英邦さんが千葉へ単身赴任し疎遠になった後も、一人で明るく子育てを行いました。
蘭さんにとって自慢のお母様だったでしょうね。
伊藤蘭の兄弟は?兄が一人
伊藤蘭さんには兄が一人います。

路似(るい)さんというおにいさんがいるという情報がありました。
また、前出した広島表敬訪問時のインタビューで蘭さんは、
今日初めてまじまじと曽祖父の写真を市長室で見ました。兄にそっくりでした

と語っていましたね。
蘭さんはお兄さんのバンドの影響で、音楽に興味を持ち始めたというエピソードもあったのでお兄さんがいることは確実です。
お兄さんは一般人の方なのであまり情報がないと思われます。
まとめ
伊藤蘭さんの父親・英邦さんは戦時下の元レーダー研究者で超エリート。
戦後は陶芸や絵を教えながら、戦争で障害を負った人々に寄り添い晩年を過ごすという心優しい研究者だったと言えそうです。
伊藤蘭さんのお母さんも名家育ちで、実家はエリート一家だったということですね。