ジャニー喜多川氏の姪にあたり、ジャニーズ事務所社長の藤島ジュリー恵子さん。
ジュリーさんの父親は小説家で評論家の藤島泰輔(ふじしま たいすけ)さんです。
泰輔さんは上皇天皇のご学友で、文豪・三島由紀夫も認める小説家。
さらに馬主を務めるほどの資産家であり、初期のジャニーズ事務所を経済的に支援していたそうですよ。
いったいどんな人だったのでしょうか。
今回は藤島ジュリー景子さんの父・藤島泰輔さんの職業や経歴、母・メリー喜多川さんとの馴れ初めを調べてみました。
ぜひご覧くださいね!
藤島ジュリーの父・藤島泰輔のプロフィール

藤島 泰輔さんの職業は、日本の小説家、評論家です。
ポール・ボネという別筆名でも多数の書籍を世に送り出しました。
また日本中央競馬会(JRA)の馬主で、資産家でもありました。
詳しいプロフィールは以下の通りです。
Wikipediaより生年月日: 1933年1月9日
出生地: 東京都
死亡日: 1997年6月28日
子女: 藤島ジュリー景子
配偶者: メリー喜多川 (1972年 - 1997年)
書籍: 孤獨の人、 中流からの脫出: 新しいステータスを求めて、 馬主の愉しみ: ランニングフリーと私、 黒の魅惑、 東京山の手の人々
両親: 藤島敏男
藤島ジュリーの父・藤島泰輔の職業・経歴

藤島泰輔さんの職業、経歴を多数のエピソードとともにご紹介します。
小説家
藤島泰輔さんは学習院大学、政経学部を卒業しています。
学習院時代は上皇天皇とご学友だったとのこと。
上皇様より一つ学年が上だったそうですよ。
卒業後は東京新聞に入社。
在職中の1956年、23歳の時上皇陛下や学習院時代の学友を題材にした小説『孤獨の人』で作家デビューしています。

この小説は上皇様(当時は皇太子様)が小説の登場人物のモデルとなっていることで、当時としては批判も浴びましたが大ヒット作ともなりました。
文豪・三島由紀夫が序文に「うますぎて心配なほど」とその才能を評価しています。
東京新聞退社後は作家を本業とし、在日フランス人という設定の「ポール・ボネ」名義で多数の本を執筆しています。

藤島さんはポール・モネの正体が藤島泰輔であることをずっと隠して執筆をつづけていたそうで、
「ポール・ボネ、この外国人は誰?」と当時は騒がれていたのだそう。
文筆家としても素晴らしい経歴をお持ちなんですね。
現在、藤島泰輔さんの著作権利は、娘のジュリーさんが継承しているとのことです。
馬主

藤島泰輔さんは日本中央競馬会(JRA)の馬主でもありました。
多数の馬を所有し、長者番付の常連で、資産家としても有名だったのです。
4億を稼ぐ競走馬も保有し、所有馬の中には、ジャニーズ事務所のアイドルグループ「光GENJI」から命名した「ヒカルゲンジ」という名前の馬も所有していたという興味深いエピソードもありました。
普通の人では想像がつかないくらいの大富豪であったのではないでしょうか。
泰輔さんが亡くなった後は、娘のジュリーさんが馬主資格を取得し、一部の競走馬の所有権を引きついでいるのだそうですよ。
旅行家

藤島泰輔さんは頻繁に海外旅行をした旅行家でもありました。
訪問国は80ヶ国を越えるのだとか。
1970年にはエベレスト・スキー隊総本部長としてヒマラヤにも遠征しています。
そのため海外生活を題材にしたエッセイや旅行記なども多数執筆しています。
ジャニーズを経済的にバックアップ

そんな大富豪だった藤島泰輔さんはジャニーズ創世記を作り上げた重要な人物だったと言われています。
ジャニーズ事務所はもともと、ジャニー喜多川氏とメリー喜多川さんの二人三脚で立ち上げて大きくしてきました。
文春オンライン

引用元:週刊オンライン
ジャニーさんはジャニーズでは主にクリエイティブな部門を担当。
メリーさんはジャニーズを経済的、対外的な交渉面を一手に引き受けていました。
そんなメリーさんを支えたのが藤島泰輔さんだったということなのです。
さらに前述した通り、泰輔さんは、上皇天皇のご学友。
落選こそしていますが、1977年には、第11回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で立候補しています。
文学界のみならず、政財界など多方面で強力なネットワークを持っていたのです。
藤堂泰輔さんの資金力や人脈が、ジャニーズ事務所の発展に多大な影響を与えたと言っていいでしょう。
藤島泰輔さんがいなかったら、ジャニーズ事務所はここまで大きくなっていなかったかもしれません。
母・メリー喜多川と父・藤島泰輔の馴れ初めは

引用元:文春オンライン
メリー喜多川さんと、藤島泰輔さんはどこで出会ったのでしょうか。
メリー喜多川さんは31歳のころ、四谷三丁目にカウンターバー「スポット」というお店を開業しています。
藤島泰輔さんはそのお店の常連さんだったそうなんです。
藤島さんはもともと、俳人・高浜虚子さんの孫娘である朋子さんと結婚していました。
しかし結婚後間もなく藤堂さんはジュリーさんに出会います。
藤島ジュリーさんがまだ離婚が成立しないうちにメリーさんとの間に娘であるジュリーさんが誕生しています。
メリーさんの略奪結婚であったともいわれていますね。
ジュリーさんが生まれ、6年後に藤堂泰輔さんは妻の明子さんと正式に離婚。
その後メリーさんと正式に再婚しました。
晩年はジュリーさんのアメリカ留学に付き添いアメリカ生活をおくり、1996年がん告知を受け、1997年64歳で亡くなっています。
亡くなる直前まで、ジュリー景子さんに早く結婚するようにと心配していたそうです。
娘であるジュリーさんの才能を高く評価し、とてもかわいがっていたんですね。
ジャニーズ事務所の今後はどうなる

現在ジャニーズ事務所の社長を務める藤島ジュリー景子さん。
ジャニーズ事務所をここまで大きく成長させた支援者の一人がお父さんの藤島泰輔さんだったと言ってもいいでしょう。
故・ジャニー喜多川氏の性被害問題で大きく揺れているジャニーズ事務所。
5月14には、ジュリー社長自ら謝罪した動画が公開されました。
今まで公の場になかなか姿を現さなかったジュリー社長がようやく姿を現したことで話題になていますが、これを機に被害の真相が明らかになり、今後の芸能界がクリーンで夢のある場になることを願います。
最後までお読みいただきありがとうございます。